久しぶりに会いに
久しぶりに、Tさん(野球の先輩)に会いに行って来ました。
(携帯にて撮影)
Tさんとは、12年前に豊田の早朝野球のチームで知り合い、
その後、Tさんが作った豊田の野球チームにスカウトを受け入部。
僕はその後、仕事の都合上、豊田の早朝野球を辞め(9年前)、
お昼の野球に専念していると、Tさんが、もう一つ所属している
安城市の早朝野球に、「来い」、と言われ、喜んで入部させて頂きました。
Tさんは体が大きく、豊田のA級で4番を打っていただけあり、
とにかく器用で、「さすが」、と思わされる場面も何度か。
仕事はと言うと、酒屋を経営されていたので、僕は仕事帰りに
お店に寄っては、閉店まで終始野球の話を。
2006年、4月2日、日曜日。
小雨の中、早朝野球でいつも通り集まると、雨天中止との事。
しかしせっかく集まったのだからと、Tさんと僕は駐車場で
軽くキャッチボール。
そして、集まったメンバーと一緒にグランドで、フリーバッティング。
それから二日後の、4月4日。
会社で昼食を済ませ、車の中で休憩をしようと車へ戻ると、
携帯が点滅。
着信多数(早朝の監督、豊田のチームの先輩(現豊田チーム監督TYさん)。
とりあえず、早朝の監督に℡。
も 「お疲れ様です、どうされました!?」
監督 「Tが、今朝、亡くなった」
も 「はぁ!? 何がです!?」
監督 「今朝、亡くなった」
僕は訳も分からず電話を切り、TYさんへ℡。
も 「なんか、Tさんが亡くなったと聞いたのですが」
TYさん 「おう、朝、会いに行って来た。
心筋梗塞だってよ」
僕は自分を騙し、押し殺していたものが一気に表に出て来てしまい、
TYさんと会話が出来なくなり、切る事に。
お昼休憩も時間が無くなり、平静を装い職場へ戻ると、
後輩が、「もときさん、どうされました!?」と。
「何でもないよ」とは言ったものの、限界。
もう仕事が出来る状況ではないと思い、上司に、
も 「すみません、先輩が亡くなったと知らされ
もう今日はすみませんが、仕事が出来ないので
帰らせて下さい」
上司 「わかったよ」
そして直ぐにTさんの所へ。
大きな体で、静かに寝ていました。
今の僕と同じ年、37歳、志半ばだったと思います。
しかし、Tさんは毎日全力投球だったと思います。
Tさんに言われたこと、今でも忘れません。
Tさん 「俺より野球好きはこの世に居ないと思ってたけど、
お前には敵わんわ」
そう言わせた、僕の物事に対しての行動。
僕はこれからも、柔軟性を持ちつつも、自分自身を貫き通し、
墓前に誓いをして来ました。
これからも、思いっきり楽しむぞ~!